劇団所属18年、アマヤドリ旗揚げメンバー・中村早香が振り返る劇団の歴史【アマヤドリ:中村 早香】

こんにちは、アマヤドリ劇団員の中村 早香です。

いつもアマヤドリを応援頂きありがとうございます。
アマヤドリは2019年1月24日(木)〜27日(日)、池袋のあうるすぽっとにて新作公演を行う事になりました。

古い劇団員が抜け、新しい劇団員が入り、今、劇団は大きく変わろうとしています。

劇団立ち上げから18年、いろんな事がありましたが、その中でも次の1月公演は間違いなく劇団の転機になるんだろうなぁ、と。そんな確信めいた予感がして、なんとも言えない複雑な気持ちでいる今日この頃です。

そこで今回は劇団旗揚げから18年、私が見てきた劇団の歴史を振り返ってみたいと思います。

ひょっとこ乱舞 誕生

第1回公演「一石二鳥ワイルド」

アマヤドリの前身である『ひょっとこ乱舞』が初めて公演を行なったのは、2001年の4月
東京大学内の劇場、駒場小空間で行われた『一石二鳥ワイルド』という作品でした。

出演者は、広田 淳一所属の『シアターマーキュリー』と、私の所属していた『劇団綺畸』のメンバー数人でした。

出演のオファーを頂いたのがだいたい公演の1年前くらいで、その時出演していた『劇団綺畸』の公演に、〈ひょっとこ乱舞第1回公演 中村 早香出演〉と書いたチラシが折り込まれてあって。

そこで初めて団体名が『ひょっとこ乱舞』なのだと知り、あまりのインパクトに衝撃が走った事を覚えております。

広田さんから「『ひょっとこ海峡』とどっちにしようか迷ったんだよね!」と言われ、口には出しませんでしたが、心の底から『ひょっとこ乱舞』で良かったなぁと、しみじみ思ったものでした。

「一石二鳥ワイルド」仮チラシ

『ひょっとこ乱舞』の稽古は、正直、とてもしんどいものでした。

ランニング、ストレッチ、筋トレ、肉体基礎訓練を、「え、運動部なの?」というくらい結構な時間をかけて毎日行い、終わった後は、日々出されていた宿題の発表会、『ものまね』『1人エチュード』『外郎売り』……などなど。

頭も身体もフル稼働なのに休みは月に2回だけ。

みんな結構疲弊してたけど、それ以上に若者独特の妙な気合いが満ち溢れていて、なんだかんだ楽しく乗り切っていました。

この時のメンバーは、今思い返してみても、みんな才能に満ち溢れていました。

役者には輝く主役のオーラを持つ人と、味のある脇役のオーラを持つ人と、いろいろタイプがあると思うのですが、なんだかこの時のメンバーは主役のオーラを持つ人が多かったんですよね。

皆ほぼ同い年だったのですが、課題でも台本でも、とにかく何をやってもみんな面白くて花があって、、、口には出しませんでしたが、正直、みんなに嫉妬していました。

当時の私は自信過剰で、絶対誰にも負けないと思い込んでたし、出来ない自分を認めたら負けだと思っていたのです。

「ここは仲良しクラブじゃないから。全員敵と思え!!」と、言われていたせいもあったのかもしれません。自分を認めない限り成長なんて出来ないし、そもそも、人は人、自分は自分、それぞれの道を進めばいいだけなのにね。

今考えると恥ずかしすぎて赤面してしまうのですが、とにかくあの時は、私もみんなも、とても若かったのです。

左 第1回公演「一石二鳥ワイルド」 右 第2回公演「圧縮」

ひょっとこ乱舞 初めての外部劇場

第3回公演「燃え切った焚き火を見ている」

初めてチケット代を頂いて打った公演は、第3回公演『燃え切った焚き火を見ている』(2002年10月)でした。

それまで行っていた駒場小空間は学校内の施設だったので、料金はカンパ制だったのです。

初めての外部劇場という事で、そうなると当然劇場費もかかる訳で。私たちは毎回、結構な額のノルマを払っていました。今考えると、よくあんなお金があったものだと思います。

今はみなさん、公演に出演するとなったら、「ギャラはいくらですか?」というお話になると思うのですが、当時は必ず「ノルマはいくらですか?」と聞いていました。それが常識だったのです。

時代は変わったなぁと思います。

第3回公演「燃え切った焚き火を見ている」②

ひょっとこ乱舞 転機(1) 意識改革

個人的にも、劇団的にも、第5回公演『愛にキて』(2003年7月)は一つの転機でした。

ひょっとこ乱舞のメンバーはほぼ同年代で、第4回公演『馬鹿はお前だ』(2003年3月)を最後に、みんな就職していったのです。

私は就職は考えていませんでしたが、演劇の専門学校に進学するつもりでした。ちゃんと演劇を基礎から学びたかったのです。

そこで、ひょっとこ乱舞にはもう出演出来ない旨を広田さんにお伝えしたところ、広田さんから、お叱りというか励ましというか、、、

要約すると「専門学校なんて無駄だよ!劇団一緒にやってこうぜ!」といった熱い長いお手紙を頂き、今思い返すとものすごいテンションだったなぁと思うのですが、当時の私は嬉しくて感動して、、、それで、ひょっとこ乱舞に残ることにしました。

左 第5回公演「愛にキて」 右 第6回公演「ジョシ」

「君は不真面目だよ」と、ある日突然、広田さんに言われました。第5回公演『愛にキて』の稽古が始まって少し経った頃、コンビニでお茶を買っている時でした。

それまで主要メンバーだった伊東 沙保、酒井 彩子が抜け、この時点で旗揚げメンバーの役者は私一人だけになっていました。

この頃は流石に自分の身の丈も分かるようになっていましたが、それでも自分の真面目さには自信を持っていましたので、そこを否定された事に強いショックと反発を覚えました。「私はぜったい真面目にやっている、、、」と。

広田さんの言っている事が理解出来ず、稽古場で怒られても不満ダダ漏れで、不毛な時間が流れました。

それを見かねて、スタッフの先輩が助言をして下さったのです。「例えば、お前は真面目だから1日2時間勉強しろと言われたら続けられるよ。でも10時間以上やれって言われたら流石に大変だろ?広田が言ってるのはそういう事なんだよ。」

要するに、広田さんが言っていたのは、「ほどよく80点の芝居してんじゃねーよ!空振りしてもいいから200点の芝居を狙いにいけよ!プロの意識を持てよ!」という事だったのです。

主要メンバーが抜けて、今後ひょっとこ乱舞を続けていけるのか?広田さんは不安だったのだと思います。

それなのに、アマチュア意識で冒険しない演技をしている私に、広田さんは不安と怒りを感じたのでしょう。

劇団を引っ張り、プロとして活動していくということ。そのための覚悟。

この時初めて、自分はプロとして活動していくのだと、強く思いました。

後編はコチラ

劇団所属18年、アマヤドリ旗揚げメンバー・中村早香が振り返る劇団の歴史②【アマヤドリ:中村 早香】

2019.01.13

中村 早香

1981年生まれ。埼玉県蕨市出身。2001年ひょっとこ乱舞旗揚げより参加。以後劇団員として活動。主な出演作はSCOT『世界の果てからこんにちは』『シンデレラ』、インターナショナルSCOT『青い鳥』、身体の景色『光る道』、など。所属事務所はinfini。

Twitter @chayanaka

アマヤドリ

2001年に「ひょっとこ乱舞」として結成。2012年に「アマヤドリ」へと改称。広田淳一によるオリジナル戯曲を中心に、現代口語から散文詩まで扱う「変幻自在の劇言語」と、クラッピングや群舞など音楽・ダンス的な要素も節操なく取り入れた「自由自在の身体性」を両輪として活動。リズムとスピード、論理と情熱、悪意とアイロニー、とか、そういったものを縦横に駆使して、「秩序立てられたカオス」としての舞台表現を追求している。

【次回公演】

アマヤドリ2019本公演『天国への登り方』
■日程:2019年1月24日〜27日
■場所:あうるすぽっと

『天国への登り方』公演詳細ページ
http://amayadori.co.jp/archives/12037

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2017.02.14