「劇団を続けるために必要なこととは?」アマヤドリ主宰:広田淳一〜アマヤドリ15周年公演「銀髪」特別企画〜

これまで二回に渡って劇団とは何か、劇団が創作に対して持つ効果とは何か、について述べてきた。いわばここまでの15年間、僕がなぜ劇団を続けてきたのかという動機について書いてきたわけだ。

今回からは、これからの15年をどうやって乗り越えて行くかについて書いてみたい。

前回までの記事はコチラ

・劇団を始めること。劇団とはなにか?
・なぜ劇団にこだわるのか?~創作における劇団の利点と可能性~

劇団を続けるために必要なこととは?


<アマヤドリ_月の剥がれる(2016)>

第一回でも述べたように劇団を継続させることは目的ではない。手段だ。すべてはすばらしい創作のためにある。ただ、これはとても重要な手段である。

エベレストの登頂に際してベースキャンプが必須であるように、すばらしい創作のためにはすばらしい集団が必須になってくる。そして僕は、集団を作ることについて考えておくことは何も主宰者にとってものみ有効なことではないと考えている。

たとえば大きな権力や、社会に立ちはだかる見えない壁と対峙するとき、どうやって仲間を作り、連帯していくかという集団のマネジメントの問題は、アーティスト一人一人にきわめて重要な問題であるからだ。

なるべく良い集団を探り当ててその仲間に入れてもらおう、という程度の人間では、真に良き創作集団のメンバーたる資格はないだろう。

あなたがその集団を前に進める力をもった個人にならなければ、集団の方であなたを必要とするはずがない。誰かに信頼されたいのであればあなたが信頼に値する生き方をしなければならない。

と、ここで、近頃、心理学の本で僕が強く頷かざるを得ない一節に出会ったので紹介しておこう。「問題の解決に寄与していないのであれば、あなたもまたその問題の一部である」。社会の、集団の、良き構成員でいるということは、そういった責任意識と共にあることだと僕は考えている。

さて。いかなる種類のものであれ、集団というものは安穏と継続していくものではない。

カタコトの神父さまの前で永遠の愛を誓いあった夫婦だって「解散」することは珍しくないし、売上が上がらなければ会社は倒産し、組織が腐敗すれば慈善団体は消滅する。

では、集団として生き延びていくためには何が必要なのだろうか?

それを考えるためにはまず、実際に長年生き延びている劇団がどんなものを獲得してきているのかを考えてみると良いだろう。端的にまとめれば、僕は次の三点を獲得/確保しなければ劇団は継続できないと考える。

・経済的成功(動員力)
・芸術的成功(質の高い創作)
・社会との接続(公共・私設の支援団体、劇場を含む他の創作集団との関係構築)

言い換えればこれは、喰っていけること、面白い芝居を作っていること、そして、それを理解してもらうべく社会とのチャンネルを広く開拓していること、である。

これらの要素は、それぞれが独立したものではなく相互に関わり合っている。

質の低い作品をしか作れない集団が経済的成功を手にすることはできないし、社会との接続が絶たれている状態で、演劇の社会的存在価値について理解することもできないだろう。それぞれの能力をバランス良く伸ばし、様々なものを獲得/確保していかなければ劇団に未来はない。

これらをいかに獲得していくかについて詳述していきたい気持ちもある。成功例として紹介するほどの価値があるかどうかは別として、アマヤドリがいかに創作を行い、いかに宣伝を行い、いかに劇場、あるいは各種団体と付き合っているかについて、僕たちの方法を書くこともできる。

が、そういった具体的な方策についてはとても記述が長くなるし、また、別の記事としてうちの劇団員が何やら書くようだからそちらに譲ることとしたい。

ここでは、むしろ組織を継続していくために守らなければならないこと、やってはならないことについて書く。

必ずしもアマヤドリが上記三点の獲得に成功しているかどうかはわからないが、とにもかくにも十五年間、この劇団は継続的に創作をし続けることには成功した。

その点に関してなら僕も自信を持って書ける。いくら成果を上げられたとしても組織が内部崩壊してしまえば元も子も無いし、集団は常に崩壊の危機と共にある。アマヤドリもまた、何度も崩壊の危機を乗り越えてきた実績がある。


<アマヤドリ_すばらしい日だ金がいる(2015)>

さて。劇団が崩壊していく理由にもいろいろある。僕も様々な理由で様々な劇団が解散していくのを見てきた。ただ、まとめて見れば、その崩壊のパターンというのは下記の三点、あるいはその複合ということになるんじゃないかと思う。

(1)個人の独立/引退
(2)集団内部の不和/離反
(3)集団全体としての不正/停滞

(1)個人の独立/引退。

まず、(1)はもっとも多いパターンだ。集団の中で特に優れた人間がヘッドハンティングのような形で別の組織、異なる活動形態へと独立していき、組織の中核を失った劇団が崩壊していくというのが独立である。

また、家業を継ぐ、子供を育てる、病気になった、あるいは亡くなった、などの理由から劇団員が演劇そのものから離れていくのが引退である。当然、どちらの場合も劇団に崩壊の危機をもたらす。

(2)集団内部の不和/離反

続いて「(2)集団内部の不和/離反」。これはまあ、単純にケンカ別れというやつ。これもまたよくあることだ。なんとなく気に食わない、なんとなく一緒にやりたくない、とまあ、そんな気持ちになる時もあるだろう。一番、後味の悪いパターンであるとも言えるが、これもまた劇団解散において珍しくはない。

(3)集団全体としての不正/停滞

最後に「(3)集団全体としての不正/停滞」。これは個人として、というよりは集団として徐々に社会常識にはそぐわない「常識」が内部ルールとして形成されていってしまい、ついには破綻するという事態だ。

個人独裁のような形式で権力者の不正を誰も指摘できない空気がまん延した際や、活動の過激さがある水準を超えてしまったときに問題となる。

この場合、大量の劇団員がいっぺんに辞めるとか、あるいは問題がオープンになって、劇団が社会的制裁を受ける/信用を失う、といった経過を辿って崩壊となる。

アマヤドリとしての取り組み


<アマヤドリ_ロクな死にかた(2016)>

では次に、それらの問題に対してアマヤドリではどう取り組んでいるかについて書こう。まず、アマヤドリにおいてはとにかく会議の数が多い。なんと僕らはここ十年以上、ほぼ週一で集まって劇団のことについて話し合いの場をもっている。

他の劇団と比べてもおそらくこの会議の頻度はかなり多いものだろう。

実際、ひょっとこ乱舞時代には僕らも会議は月に一回という時代を長くもっていたし、当時は、その月一の会議ですら必要なのかどうか怪しいな、などと思っていたりもしたのだ。

だが、ある時期を境にして、このままじゃ劇団が危うい、という意識から会議を週一に増やし、それ以降はずっとそのテンポを維持している。

何をそんなに話すことがあるのか?と質問されることも多いが、会議によって活動そのものが活発化し、活動の範囲、幅自体が広がっているので、今では週一ですら会議が足りないと感じている。

メンバー一人が一人が自分の思いつきを実現する場所として劇団を利用している結果とも言えるだろう。だからさらに僕らは劇団員だけのグループLINEを持っていて、そこで臨時のweb会議が提起されることもしばしばだ。

僕たちは対面の話し合いにこだわっている。もちろんメールやLINEによるコミュニケーションもまったく否定するものではないが、演劇という、人と人とが目の前で対峙することを表現の基盤として信用している集団としては、対面の会議を重視するのは当然のことだろう。

僕たちは週一の会議で目の前の業務について、劇団の今後について、発生している問題の解決について、その都度、話し合う。ケンカも起きるし、サボりが露見して怒られることもある。が、週一でやっているので、大抵の傷は深刻化するまえに会議の俎上に上がる。

だから、大きな失敗を未然に防げるというわけだ。今、まさに進行しつつある『銀髪』公演に際してのイベントなども僕の発案ではなく、俳優たちの中から自主的に出てきたアイディアばかりだ。僕は概ねそれを追認したに過ぎない。

会議では、決して多数決で物事を決めない。ほとんどの場合、いろんな意見を出してもらった上で、最終的には芸術監督である広田が個人で決断を下す。

もちろん、合意を形成するための時間も会議の中では多いが、最後は僕がひとりで決める。その方が主宰者としての僕は自分の決定に責任が持てるし、メンバーたちもかえって自由に発言をすることができる。議決権は僕が持っているが、異論反論を提出する権利は最大限に保証しているつもりだ。

むしろ劇団の会議において批難されるのは、沈黙を貫くメンバーだ。当然、会議のような場で発言することが得意なメンバーもいれば不得意なやつもいるわけだが、それでも、僕はなるべく苦手なメンバーにも発言をさせるようにしている。

それが構成員である責任だろうと考えているし、発言することが苦手だと思っている人間から有益な提案が出ることも多い。

理屈ではない、雰囲気で感じている違和感を表明してもらうことで、問題点に気付かされる場合も多いのだ。会議を頻繁に開催することで、誰が批難しなくても、誰が自慢しなくても集団における個人の貢献度というものが透明化される。

特定の個人に劇団の業務が過度に集中して不平等感を産んでしまったり、特定の個人がパンクしてしまう危機を未然に回避しているといっていいだろう。すべての個人に平等に発言権があるので、集団に対して抱えている疑問点、不満も早い段階で処理できる。

これによって、集団が全体として不正を犯していくことを防ぎ、また、非効率なこと、不合理な伝統などもこういった場で断ち切り/解消していく。週一の頻度での会議。なかなか大変なことだが、騙されたと思って一度、若手の劇団には試してみてほしい方法だ。

--と、今回はあまりに長くなってきてしまったので、このへんにしておこう。次回は、アマヤドリが集団継続のためにとっている取り組みの続きと、そして、劇団の限界について書いてみたい。ほなねー。

広田淳一(ひろた・じゅんいち)


1978年生まれ、東京都出身。2001年、東京大学在学中に「アマヤドリ」の前身である「ひょっとこ乱舞」を旗揚げ。全作品で脚本・演出を担当し、しばしば出演。
Twitter @binirock

アマヤドリ

2001年に「ひょっとこ乱舞」として結成。2012年に「アマヤドリ」へと改称。広田淳一によるオリジナル戯曲を中心に、現代口語から散文詩まで扱う「変幻自在の劇言語」と、クラッピングや群舞など音楽・ダンス的な要素も節操なく取り入れた「自由自在の身体性」を両輪として活動。リズムとスピード、論理と情熱、悪意とアイロニー、とか、そういったものを縦横に駆使して、「秩序立てられたカオス」としての舞台表現を追求している。

【次回公演】

※公演終了
アマヤドリ本公演『銀髪』
■日程:2017年1月26日(木)〜31日(火)
■場所:本多劇場(下北沢)

「銀髪」公演詳細ページ
→  http://amayadori.co.jp/archives/8910