今回で5人目となる今が旬な注目の演劇人は、役者、演出家、ダンサー、振り付け、MCなど様々な顔を持つ、伊藤今人さんにお話を伺いました。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」と言うことわざがありますが、二兎どころか三兎も得ている伊藤さん。今回の前編記事はなぜ今の活動スタイルを獲得出来たのかを伺い、そして伊藤さんの活動にかける熱い思いを届けます!
ゲキバカとは?
1998年日本大学芸術学部演劇学科の学生を中心に立ち上げ。2009年春に演劇博覧会「カラフル3」にて、全国の強豪を抑えて観客投票一位に。またその際に上演した作品が「CoRich舞台芸術まつり!2009春」にて準グランプリを獲得するなど、現代の演劇シーンの一翼を担う実力を備えた演劇集団。
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梅棒とは?
【踊りは気持ちだ!】をコンセプトとして2001年に日本大学藝術学部のジャズダンスサークル『BAKUの会(現:Dance Company BAKU)』内で結成。ストーリー性の有る演劇的な世界観をジャズダンスとJ-POPで創り上げる、エンタテインメント集団。「多くのお客様が感情移入し、共感し、感動できるパフォーマンス」を信条に、「劇場型ダンスエンタテインメント」を提供。
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伊藤今人とは?
1983年、1月14日生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部演劇学科中退。演劇集団「ゲキバカ」に所属し役者として活動。MC IMAGINEとして様々なイベントで活躍をされ、さらに独特なスタイルのダンス作品で観客を魅了するダンス集団「梅棒」の代表であり、作・演出を務める。
twitter:@imagine_nowman
きっかけ
伊藤さんはどのようにして、演劇とダンスに携わり始めたのか。まずは全ての始まりから伺いました。
ダンスは趣味だった
ー本日はお時間頂き、ありがとうございます。早速なんですが、まずは伊藤さんが演劇に携わるようになったきっかけから教えて下さい。

ーなるほど。ではダンスはいつから始めたんですか?

でも、大学で入ったダンスサークルが体育会系のサークルだったので授業どころではなくなってしまったんです。演劇を学びに大学に入ったのに、ダンスばっかりやっていたんです。まあ、授業に関しては僕がだらしなかったのもあるんですけどね(笑)
それで大学4年生の時に「演劇やらないとな」って思って、学科の一個上の先輩が所属していた劇団コーヒー牛乳(現、ゲキバカ)に劇団員として入りました。
ー梅棒の立ち上げはどのタイミングだったんですか?

で、4年間ダンスサークルをやりながら、梅棒も続け、僕は役者をやりたいので劇団コーヒー牛乳をずっと続けていた状態でした。
趣味の域を超えていった
ー大学からの団体となると、どうしても卒業のタイミングで今後について悩むと思うのですが、梅棒はどうだったんですか?

その時に「やめるにはもったいないな」って思って、「ダンスコンテストに出場してみよう」というまた新たな方向性に向かったんです。
それでJAPAN DANCE DELIGHTっていう大会に何度も挑戦して、2009年に特別賞を頂くことが出来ました。で、そこでまた一回目標を失ったんです。でも、その後にLegendTokyoって大会が出来て、2012年に開催された第二回大会で優勝をしました。

梅棒では団体の長として、ゲキバカでは一役者として所属。年に何回かはゲキバカの公演に出演しつつ、梅棒では基本年2回のペースで僕が作・演出をして公演もやっているってのが現在の状況です。
やりたいこととしては一貫して「役者になりたい」ってことで進んでるんですけど、その中の趣味であったり、伏線であった梅棒が膨らんでいって、段々劇場の規模も大きくなったりして、趣味の域を超えて全く別のところで居場所が出来たって感じですね。
3つを両立させるコツ
ー役者、ダンサー、MCと3つを両立させるはとても難しいと思うのですが、伊藤さんがそれを可能にしたコツみたいなのがあれば教えて下さい。

元々役者がやりたかったので、それを続けていける場所がゲキバカにはあるから、それは大切にしていきたい。だから、これをやめるっていうのが基本的にないんですよ。
ゲキバカでもダンスのシーンがあれば振り付けをさせてもらいますし、役者としても必要としてくれる部分があってすごく居心地がいいですし、僕が他でやることに対して締め付けたりすることもないので、すごく伸び伸びとやらせてもらってます。
それはすごく有り難いですし、自分の芝居が下手な時には、すごく色んなことを教えてもらいました。ゲキバカであったり、客演で出たところの演出家さんのノウハウであったり、そういう部分が梅棒の作品を作る上ですごく得たところが役者にあるんです。
選ぶことが何の得にもならない

より多くの人がこのスタイルを求めてくれてるというか、お客さんがすごく増えてきてくれていて、色んな方からチャンスを頂いて、劇場も大きくすることが出来ています。一定の需要があるというか、新たなエンターテイメントとして面白いと思ってくれている人がいるんだなって感じています。だから、その期待には応えたい。
周りから「どれか一つにしろよ」って言われたこともないですしね。それぞれの場所で認めてくれる仲間がいて、一緒に成功したいという気持ちがあって、だから何も裏切れない。どっちかを選ぶことは許されないですし、どっちかを選ぶことが何の得にもならないんです。
全てが活かし合っている環境
ーなるほど。ではMCの方はどうなんでしょうか?

梅棒をやっていることで芝居のやり方が変わって、ゲキバカをやっていることでMCのやり方の基礎があったし、ゲキバカや色んな演出家さんか得たことがMCにも活きたし、梅棒で作品を作る側になったときにも活きた。そういうことから全てのことが全てに作用しているのを実感していいるし、全てが活かし合っている特別な環境に僕はいられていると思います。

ーなるほど。でも、それって決して簡単なことではないですよね。

ただ僕は3つやった方が僕のためになると思っているし、その実感があります。まあ、時間は足んないですけどね(笑)
「やめる」という選択肢
食えるのは2%だけ
ー僕は今26歳なんですが、最近周りで役者をやめていく友人が増えたんです。

ーたしかに(笑)伊藤さんはそういう時期はなかったんですか?

ただ僕は運が良かっただけ。梅棒にも出会えたし、色んなところに行けるチャンスもあったし。ダンスもやって役者もやってて、25、26歳の時に「やめないでおこう」って思えたのは、もしかしたら特別なのかも。
んー、どうなんですかね?バイトと役者しかやってないって人は25、26歳で「やってけねーな」って思うんですかね?
ーなんか結婚とか将来のことを考えると、みんな「やめよう」って思うみたいですね。

僕の周りでも30歳になった時にほとんど役者仲間がやめたんですよ。基本的に役者ってやめていくもんなんですよ。なぜなら、食えないから。
僕みたいに漠然と役者やって、面白いことやってればいつか売れるだろうって思ってる人って多いと思う。けど実際は、面白いことやってても食えない人がほとんどで、よっぽど他がやっていないようなことをしないと絶対売れない。
やめていくことになる人がほとんどだろうし、大体の人がバイトに一生懸命になって社員になっていく。だから「普通にやっていたらそうなるんだ」っていう危機感を持たないと若い役者さんは難しいですよね。僕もいつホームレスになるか分からないなって危機感の中やっています。
決意と共にバイトを辞めた
ーちなみに、アルバイトはいつまでされていたんですか?

ー結構最近までやっていらしたんですね。

毎日13時から22時まで稽古して、23時から6時までバイトして。帰る時は出勤する人達に逆行しながら街を歩いて、そんな時にホームレスとかを横目で見ながら「こうなるかもしれない」「芝居やりたかったのにな」って思いながら帰って、風呂浴びて、2時間寝て稽古に行く。稽古場では「ちゃんと台本読んで来い!」って演出家に怒られて「いつ読めばいいんだろう…」って思って。
それでバイト中にウトウトしながら本読んで、また怒られて。もうクソみたいな生活を30歳まで送ってきたわけですよ。「もう辞めよう!」って決意と共にバイトを辞めたんです。
ちょうど、梅棒やMCでも仕事が増えつつもあったんです。まあ、全然裕福ではないですけど、辞めて生活をしてみてるって感じですよね(笑)
ーでも、いざ辞めるとなるとかなりの勇気が必要で、辞められないって人がほとんどですよね。

僕はMCをやってたし、振り付けや演出の仕事が増えて来た時期だったので辞めることが出来ました。けど、本当に役者だけやってる人とかだったら、なかなか辞められないんじゃないかな。それが悪いことではないとは思いますけどね。ただ僕は辞めたってだけで、そうしないと生きていけない人がたくさんいるのも事実ですしね。

続ければ続けるほど、役者をやめられなくなってくるじゃないですか。会社も新卒も採用してくれないし(笑)だから若いうちに必死にならないといけないんですよ。
僕は本当に運が良かっただけ。チャンスをもらえて、仲間がいたから今なんとかなっている。もしも自分一人でやっていたとしたらきっと今もバイトしてたでしょうね。
後編記事へ
次回の後編記事では、自身が代表を務める梅棒についてと、夢を追う若者へのメッセージについてお聞きします。
公演情報
※公演終了
梅棒:6th OPUS 「GLOVER」
◼︎日程
東京公演:2016年10月15日~23日 @東京グローブ座
大阪公演:2016年10月25日~27日 @森ノ宮ピロティホール
◼︎場所
東京公演:東京グローブ座
大阪公演:森ノ宮ピロティホール
「GLOVER」の特設ページへ
詳細・予約はこちらから
で、その頃あった劇団「遊◎機械/全自動シアター(2002年解散)」の方が番組のレギュラーだったんです。それから、その方のお芝居を観に行く機会が増えて、同時に興味を持つようになったのがきっかけですね。
それで、中学1年生の時に地元の児童劇団に入ってお芝居を始めて、高校卒業までそこに所属していました。