好きな時に稽古が出来て、好きな時に公演を打てる。そんな夢のような場所、アトリエ。
劇団の主宰なら、その響きに誰もが憧れを抱くのではないでしょうか。
しかし「どうやったらアトリエって持てるの?」と思っている方も少なくないはず。
そこで今回は今年で20周年を迎え、アトリエを15年間運営している、劇団だるま座の代表である、剣持直明さんにお話しを伺ってきました!
だるま座・剣持直明さんとは?
劇団だるま座
1996年8月、代表の剣持直明さんを中心に「劇団ファールチップ」という劇団名で旗揚げをする。2001年に自分達の公演スペース兼稽古場として杉並区荻窪に「アトリエだるま座」をオープン。
2005年に現在の「劇団だるま座」に改名。2016年で活動20周年を迎える。
剣持 直明
1963年、栃木県生まれ。俳優。劇団 だるま座・有限会社だるま企画の代表を務める。俳優活動だけでなく、演出家としても活動している。
アトリエが出来るまで
まずはどうやってアトリエだるま座が出来ていったのか。どうやったらアトリエを作る事が出来るのか聞いてみました!
とにかく地獄のサイクルを抜け出したかった
ーアトリエを持とうとしたキッカケみたいなものはあったんですか?



それに、アトリエの貸し出しなどで外部の方が使ってくれれば、それで収益が出るし、「劇団員にもお金を払ったり出来るんじゃないか」って思って、アトリエの立ち上げを決意したんです。
続けられることの恐ろしさ

演劇って、バイトして、お金貯めてを繰り返して、つまり地獄のサイクルを続けていれば、一応は続けることは出来るじゃないですか。
僕は、それが何より恐ろしかったんです。「続けることは出来るけど、このままじゃ自分は何もしないで終わってしまう」
それがすごく怖くて、嫌で、どうにかしたかったんです。
とにかく分からない事ばかりだった
ーですが、アトリエ立ち上げと言っても具体的にはどうやったら良いのかイメージが付かないんですが…

物件探しは親戚の不動産屋さんに、工事もその不動産屋さんに出入りしている、大工さんに頼みました。
それと今の物件を決める時に、照明さんとか専門の技術スタッフにも一緒に下見をしてもらって、ここで公演が出来るかどうか聞いたりもしました。
とにかく何も分からなかったんです。それでも「やるしかない」と思っていたんで、分からないことはとにかく色んな人に聞いて回ってました。
有限会社だるま企画 設立
ー現在、会社として運営を行っているようですが、なぜ会社の設立に至ったのですか?

そんなこと自分だけじゃ分からないことだったし、考えもしませんでした。そうしてアトリエの立ち上げと同時に会社も立ち上げたんです。
自分だけで考えていたら分からないことばかりでした。色んな人に助けられて、色んな人のお陰でアトリエを立ち上げることが出来たんです。
アトリエが出来てから
「どうにかしたい」と言う思いがキッカケで立ち上がった、アトリエだるま座と有限会社だるま企画。どのようなことに取り組んだのか。そして剣持さんが学んだことは何なのか聞いてみました。
専門学校への会社説明会
ー実際にアトリエと同時に劇団の運営が会社へと変わったわけですが、何か会社だったからこそ出来た取り組みなどありましたか?

それはだるま座が劇団から会社になったからこそ出来たことかな。
それの効果もあって、一番多い時は、所属が100人くらいはいましたよ。
所属俳優100人は恐ろしい!
ー100人!?そんなに所属俳優を抱えるなんて、一体どんな気持ちなんですか?


それよりも、その後確認をしようと思ってその俳優に電話をかけたんですけど、繋がらないんですよ。
そうなるともうこっちは「死んだんじゃないか」とか考えちゃって、もう気が気じゃなくなっちゃったりするんですよ。
大事なことは伝えること
ーアトリエが出来て、会社になって、100人の所属がいて。様々な経験から、剣持さんが学んだことはなんだったのでしょうか?

僕は劇団が会社になった時に「しっかりせにゃいかん」と思いました。でも、それで失敗したんです。
当時、劇団員からは団費として月1万円をもらっていました。それと自分の貯金を切り崩して運営をしていたんです。
それまでマネジメントなんてしたことなかったので、とにかく分からないなりに必死に営業をしました。
でも、仕事はなかなか取れないし、レンタルも全然来なかったんです。
それまでは、みんな貧しくも仲良く協力していたのに、会社になってお金が大きくなった途端状況は変わってしまったんです。
仲間が僕に対して疑心暗鬼になってしまったんですよ。「こいつ、俺たちの金で食ってんじゃないか」みたいな。
もちろん弁解をしました。帳簿とかも全て開示して、どれだけお金が掛かるのか全て話したんです。
けれど「それもどうせ嘘だろ」みたいに言われてしまって、全く聞く耳を持ってくれませんでした。

だから、もしも初めから全てを開示していたら違ったのかも。僕は自分の悩みを伝えるのが格好悪いと思っていたんです。でもそれが全て裏目に出てしまったんですね。
仲間に助けられてきた
僕には想像のつかないような様々な経験をされて来た、剣持さん。最後に剣持さんに、この20年の思い出に聞いてみました。

でも、その頃「みるくブラザース」さんの作品に出演してまして、カーテンコールで「この人のスタジオ水没したんですよ」なんて言ってお客さんに呼びかけてくれたんです。そしてグッズ販売の売り上げを見舞金としてくれたんです。
他にもシアターミラクルのオーナーさんにもお世話になりました。
実はうちの劇団の公演をアトリエでするはずだったんです。けど、そんなことがあって出来なくなってしまったのを聞いて、タダで劇場を貸してくれたんです。
立ち上げの時もそうでしたが、本当にたくさんの人に助けられて、支えられながらやって来れたと思います。
まとめ
「どうにかしなくちゃ!」と言う強い想いと、それを実行に移す行動力の2つを持っていた剣持さん。
そしてそんな剣持さんを支えてくれる仲間がいたからこそ、出来た事なのでしょう。
これを読んでいる、アトリエを持ちたいと思っている、劇団の主催さん。
まずはその想いを劇団員に話してみてはいかがでしょうか。
だるま座20周年記念公演
今回インタビューさせて頂いただるま座の20周年記念公演があります。
剣持さんもご出演されているそうです。
※公演終了
「愛しきはー馬鹿ーとその隣人ー」
◼︎日時:2016年9月9日〜14日
◼︎会場:TACCS1179(下落合)
詳細・予約はコチラ→http://www.daruma-za.net/kanashikiha.html
その頃は、公演がない時はとにかくアルバイトをして、お金を貯めて公演を打って。それの繰り返しでした。
それでも、どんなに満席にしてもスタッフの人件費や舞台美術費、小屋代などで全部なくなっちゃうんですよ。
「なんて地獄のサイクルなんだ」と思っていましたね。