【連載企画】第2回:演劇の流行り廃り(時間堂・黒澤世莉)

連載企画黒澤さん第2回

黒澤世莉です。連載二回目です。ふたたびの方、またお会いできて嬉しいです。はじめましての方、興味を持ってくださってありがとうございます。

前回の記事でだいぶ敵を増やしてしまったので、もう読む人がいないんじゃないかと心配しています。が、再び記事を掲載していただける様ですので、ここまできたら味方を最後の一人まで根絶やしにする勢いで、素直に書いていこうと思います。

今回は演劇の「流行り廃り」について書いてみたいと思います。結論を先に書いてしまうと「流行り廃りを意識するなら演劇なんかやめちまえ」です。

以上。

だと話が終わってしまうので、なぜ「流行り廃り」を気にしないほうが良いと思うのかを今回は書いていきます。

第1回:若い演劇人へのエールと叱責
第3回:演劇を20年続ける方法
第4回:家族と演劇

流行とは前時代への揺り戻しである

思い出話からはじめましょうか。

19年前の演劇

私が時間堂という劇団をはじめた19年前は、まだ20世紀でした。当時は野田秀樹さんの夢の遊眠社が解散してNODA MAPがはじまり、第三舞台の活動休止の少し前。いわゆる「小劇場ブーム」が終息するころでした。

岩松了さんや平田オリザさんが岸田戯曲賞を獲り「現代口語演劇」が隆盛します。それから、大人計画やポツドールなど「悪意の演劇」が出て来ます。チェルフィッチュなどの「超現代口語演劇」を経て、現代音楽やアニメ、マンガをリミックスした「ゼロ年代」の作風があらわれます。平行して、ドラマの枠を越えて演劇を拡張させる「ポストドラマ演劇」がよく取り沙汰されてきます。

それ以前の演劇

私が演劇をはじめる前の日本は、まず太平洋戦争があって演劇どころじゃない、とはいえ移動演劇や慰問演劇はあったけど、という状況がありました。

それから、戦前から活動していたヨーロッパから輸入した演劇を日本にローカライズして上演する「新劇」の活動再開がありました。やがて寺山修司や唐十郎の「アングラ演劇」が誕生しました。これが小劇場ブームの走りであり、そこからつかこうへいなどが現れる下地が出来たわけです。で「小劇場ブーム」に至る、と。

現在の演劇

そして現在の演劇界は、もっと混沌とした「特に流行というものがない状況になっている」というのが私の理解です。

強いていえば、エンターテイメント演劇として、2.5次元の盛り上がりは特筆すべき事のような気もします。ただ、それを言ったら同じくエンターテイメントとして誕生した、歌舞伎や宝塚や劇団四季はずっと安定して上演されてきていますので、それだと同じく「流行り廃り」で語られることではない気もします。

流行は繰り返すもの

え?書いていることが分からない?ググって下さい。ここでは大雑把に概観が見えればいいです。

カンのいい方なら、ピンとくるかと思います。結局、流行というのは、前の時代に対する揺り戻しでしかないわけです。

・ドラマとフィクションの「新劇」に対するカウンターとして、ハプニングと生身の「アングラ」がある。
・「アングラ」に対して、オーバーアクションとダンスの「小劇場ブーム」がある。
・「小劇場ブーム」に対して、静けさと超リアリティの「現代口語演劇」がある。

などなどなど。

演劇に限らず、流行という現象自体に、今現在あるモノへのカウンターである、という要素は必ず含まれます。それはラーメンでもジーンズでもメイクでもそうです。そして、流行は繰り返すものです。10年前のはダサくても、50年前のならクールなんです。

流行を追うな

そういった、移り変わりが激しく、前の時代に対する対抗でしかない「流行」という概念を、芸術家が追ってどうするんだバカと。新しいものでなくちゃいけない、という強迫観念はどこからきたのさ。

あなたの求める演劇が、結果的に「流行り」になるか「廃り」になるか、それは分かりません。ただ、あなたが好きなモノに真摯に向かい合った結果であれば、どっちであってもいいと思います。そして時代が巡るのだから、必ず流行に引っかかります、いつかは。

おめえがつくれよ「流行」を。「流行」なんざなーんも意識しなくっても、好きなものつくってたらいつのまにか「流行」になっちゃってた、くらいの気持ちでいろ。ということです。

観客にも責任はある

作り手ばかりの責任ではないと思います。観客にも責任の一端はあります。「常に新しい物を求めて消費する」スタイルの演劇ファンは、決して少なく無いと思います。

新しいということに偏重した価値観は、ジャンルそのものを痩せたものにしてしまうので、ファンの皆さまも「消費」だけでなく「育成」するような観劇をお願いしたいところです。

歴史は学ぼう

さて、「流行り廃り」と似たコトバに「歴史」というものがあります。

たびたびサッカーの話を持ちだして恐縮ですが、サッカーにも歴史がありますね。戦術や戦略というものは、時代とともに進歩していくものです。

相手の攻撃を受け止めて隙をつくカウンターなのか、あくまで主導権を握るポゼッションなのか。どちらが良いではなく「歴史」の積み重ねの先に現代サッカーの理論は成り立ってるってことです。

演劇だって一緒です。「流行り廃り」を意識する必要はありませんが、「歴史」を勉強をする必要はあると思います。

いま自分が行っている活動が、芸術的にどんな文脈に位置づけられるものなのか、どの系譜の存在なのか。先行研究を調べて、自分の活動に活かしたり、先行研究を学んで、それを発展させたりしたほうが芸術的な成果が上がるでしょう。

歴史から学ぶからこそ考える余地が生まれる

たとえば、「20世紀初頭のパリで、演劇に関する実験はやりつくされた」という先輩の意見を聞きました。いま革新的だと思って取り組んでいることが、実はずっと昔に研究されてた、なんてこともあるかもしれません。革新的であることに一定の価値はありますが、革新だけが演劇の本質ではない、と思います。

自分は革新を求めていくか、それとも王道を深めるのか。それだって「歴史」を学ぶからこそ考える余地が生まれるのだと思います。

常識かもしれませんが、演劇はもともと、人間が言語を獲得する前から、死者をおくる儀式として始まった、と考えられています。

それから、2500年前のギリシャ劇、時代は飛んでイギリスでシェークスピアと、そのちょっと前に能や歌舞伎が出来た日本。それから、フランスにはモリエール、ロシアにはチェーホフ、ドイツにはブレヒトが生まれて、それぞれが個性的な演劇をつくっていきます。

なぜ演劇が生まれたのか。それぞれの時代で、どういう変化が生まれたのか。そういうことを知ることで、現在の演劇をやる人間たちにも具体的な役立ちポイントが必ずあります。

たとえば、儀式として生まれた演劇なのであれば、人間は本質的に「一つの場所に集い共感したい」という欲求がある、のだと考えられます。言語獲得以前の人間の風習は、演劇の本質的魅力が何なのかを忘れかけている現代人にとって、大切なメッセージになるでしょう。

テクノロジーを活かしたスペクタクルが悪いとは言いませんが、そんなものが無い時代にも、演劇は人間を惹きつけ、魅了してきたのです。そういったことが「歴史」を学ぶことでたくさん分かってきます。

歴史を知らないのは格好悪い

ロックバンドの大天才だったら「ビートルズ?聞いたこと無いね」って言ってもカッコいいかもしれませんが、演劇やってて「シェークスピア?聞いたこと無いね」って答えるのはアホだなって思われるだけで格好良くないと思いますよ。

いや大天才ならいいかもしれませんが、たぶん、あなた、大天才じゃないから。「歴史」勉強しましょう。いいことありますよ、きっと。

最後に、自分自身の歴史的文脈での位置づけを書いておきます。私はサンフォード・マイズナーとスタニスラフスキーを基本において、ピーター・ブルックの影響を受けたドラマ演劇の演出家、だと自分を位置づけています。

わたしは、新しい物を発明して世界に広げるより、先輩からもらったバトンを、後輩に手渡していく、そんな芸術活動を志していますよ。

革新的なことに興味が無い、というよりは、現状の日本演劇界は、私が理解している王道に対する理解が無い/あるいは低い、と考えています。ので、その現状を変える、というのが、わたしのひとつのミッションですね。

もし、そういう活動に興味があったら、SNS上でコンタクトしてください。

では、また来週。

<筆者について>
黒澤世莉
1976年、東京都生まれ。創立20週年を迎える時間堂の主宰であり演出家。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、1996年、時間堂として活動を開始、主に演出と執筆、翻訳を手掛ける。TGR札幌劇場祭作品賞、佐藤佐吉賞優秀作品賞、演出賞受賞。

インタビュー記事はこちら→時間堂主宰、黒澤世莉氏に聞いた「演劇の未来とは?」

連載企画黒澤さん第2回


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